FC2ブログ
2018年11月 / 10月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫12月

2018'11.09 (Fri)

渋谷で映画

水曜日に、渋谷で映画を見てきました。
「パウロ」です。

ローマの牢にとらわれているパウロを
ルカが訪ね、パウロの言葉を書き写す。
それが新約聖書の使徒行伝になったのだそうです。

ローマのネロの弾圧に暴力で対抗しようとする若者に
解決の唯一の方法は愛である、と説いていました。
争いからは解決はみちびかれない。
そこでコリント前書の愛の教えが語られました。

また、弾圧されて疲弊し、苦しむキリスト教徒たちの祈り
我らの日用の糧を今日も与えたまえ、
我らを試みに合わせず、悪より救いだしたまえ・・・
という主の祈り。
そのシーンも感動的でした。
毎日の食べ物をお与え下さい、という祈りは本当に切実なものです。

また、ルカが書いたパウロの言葉を、信徒たちが書き写すシーンもありました。
あのようにして、聖書が出来て、広まったのだ、と思うと
今、私たちが簡単に入手できることに改めて、有り難いことだ、
という思いを抱きました。
 
牢にとらわれ八方ふさがり、自由の無い中で行われた
使徒行伝の執筆。

映画の最後に 今、困難の中にある、すべての人に贈ります。
というテロップが流れました。

迫害の中でも絶望しない。
前を向き続ける。
パウロの信仰の強さを感じました。

宗教色の強い映画ですが、クリスチャンでなくても
見ごたえがあると思います。
渋谷のヒューマントラストシネマ。おすすめです。

(水曜日は割引になる、と思って出かけたのですが、
シニアは水曜じゃなくても割引でした。
予想に反してずいぶん人が入っていて驚きました)







にほんブログ村 60代主婦

にほんブログ村 住まいブログ 一戸建 注文住宅(業者)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 家族ブログへ
にほんブログ村





18:02  |  信仰  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2018'10.29 (Mon)

マルタとマリア

昨日は礼拝の後、女子部の学びの会がありました。
題材はマルタとマリアです。

イエス様が家に立ち寄った時、一生懸命におもてなしをするために
立ち働いていたのがマルタ。
イエス様の足元に座り、話を聞きいっていたのがマリアです。
忙しく立ち働いていたマルタが遂にプッツン。
イエス様に、マリアにも手伝うように言って下さい。
と直訴するのですが、イエス様の答えは
大切なことは一つ。マリアはそれを選んだのですよ。
とお答えになった。(マルタとマリアは姉妹です)

かいつまんで書くと、こういう内容の話です。
女性の会ですから、み~~~んなマルタ派。
マルタの怒りは私の怒り、というような反応でした。

私もそう思いました。
マリアに言わないで、イエス様に言いつけたのだって、
言って手伝ってくれるなら、とっくに頼んでいる。
やってくれないから、イエス様に叱って欲しくて言ったのだ・・・
と私は思いました。

女性は、みんな同じ思いをしているのですね。
イエス様の時代からこの図式は変わらない。
なんてこったい!!

でも、私なりに、イエス様の答え、大切なことは一つ
という言葉には、思い当たるものもありました。

自分の勝手な思い込みで、一人頑張っている部分が
あったのではないか、と。
こんなに頑張っているのに、わかってよ。
といくら思ってみても、わかりっこない。
人は自分じゃないのですから。マリアとみんな同じなのです。
かつての私は、まったくマルタと同じ思いを
日々積み重ね、繰り返し、遂には噴火してうつ病になったのでした。

大切なことは一つ。
無理なことは無理、と言い、やらなければ困るから、日常が回らない
という気持ち、思い込みに突き動かされない。
自分が健康で楽しく在ることが何より大切なのだから。

当時の私を支えてくれた言葉

*変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、
そして両者を識別する知恵を与えたまえ

*私の幸せは人に左右されない。

*人生は楽しむためのもの。

*群れない。慣れない。頼らない。

人を変えることはできないけれど、自分が変われば良いのだ。
と思い定めて、少しずつ、少しずつやってきたのです。

大切なことは一つ。

でも、マルタの気持ちは、すごくすごく良くわかります。
マルタさん、あなたの気持ちは私の気持ち。
癒しがあったのだ、と思いたいです。







にほんブログ村 60代主婦

にほんブログ村 住まいブログ 一戸建 注文住宅(業者)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 家族ブログへ
にほんブログ村









14:24  |  信仰  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2018'10.14 (Sun)

今日の礼拝で

礼拝の初めには、いつも賛美歌を歌います。

歌詞は、プロジェクターで大きく映し出されるのですが、
その係をして下さっている方が視線に入りました。
また、子ども礼拝に出席する小学生の男の子の横に座り
何くれとなくお世話して下さっている方もいます。
今年ご主人を亡くされて、一人で席に付かれた方・・・
みんな、みんな、いつもと同じです。
そして今朝もいつものように賛美歌を歌ったのですが、
何故だか特別、今日は胸が一杯になり、涙がこぼれそうでした。

全員が、幸せ一杯で、悩みも苦しみも無く、心軽やか、
というわけではありません。

生きていてくれさえすれば、と思って祈っています。
というような重篤な病気の家族が居る人、
経済的な困難や仕事の困難、人間関係。
ありとあらゆる試練に、クリスチャンだってさらされているのです。
倒れそうになりながらも、どうにか自分を奮い立たせて
1週間を過ごし、集う礼拝です。


皆さんの、忍耐強くおだやかないつもと変わらぬ姿が
格別、胸にしみたのかもしれません。

日々起こる全ての事を受け入れて、粘り強く生活していく。
希望を失いそうな時にも、辛いです、助けて下さい、
と叫びながらも、絶望しない。
そんな皆さんの信仰が、賛美歌を通して、胸に迫りました。

教会員どうし、兄弟姉妹、という言い方をしますけれど、
本当に、皆さんと神の家族なのだ、と感じました。

倒れても、助け起こし、道に迷った時は、
明りをともして導いて下さる。
そんな、私の大切な家族なのだという思いがこみ上げました。



This is my command: Love each other.
これが私の命令です。互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書15-17







にほんブログ村 60代主婦

にほんブログ村 住まいブログ 一戸建 注文住宅(業者)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 家族ブログへ
にほんブログ村




17:42  |  信仰  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2018'08.27 (Mon)

牧師先生のお休み

クリスチャンとして毎週日曜日に教会に行く事は、
私にとっては義務というより、必要不可欠な事になっています。

先生の説教を聞き、心静かに自分と向き合い、
祈りと共に1週間の歩みをスタートできることは、
とても大切で幸いなことなのです。
でも、欠席することも多々あります。
ゴルフに行ったり、お友達との約束だったり、
日曜日にやりたい事もたくさんあるからです。
それに体調の悪い時だってありますし。
礼拝への出欠は全くの自由意思で、欠席が続いても、
体調が悪いのな、と心配はしてくれても、
咎められたりすることはありません。

牧師先生は、礼拝で説教をして下さるのですから、
日曜日には万難を排して、講談に立たれているのだと思います。
職業としての信仰人生。
苛酷だろうな、といくら想像しても、きっと実際は
何倍も、何倍もの厳しさがあるのだと思うのです。

昨日、私達の教会の牧師先生はお休みでした。
説教には、他教会の専任伝道師の先生が来て下さいました。
これはこれで、いつもとは違う礼拝に、また違った感動がありました。
教会に通い始めて、何年か過ぎましたが、始めて経験することだったのです。

お休みを取られた先生が、仕事を離れて
きっとリフレッシユされた、と想像しています。

仕事にお休みがあるように、牧師先生にもお休みは不可欠だと思います。
お休みをしたからといって、信仰に変わりがあるわけではありませんし。
たった1回のお休みを取るために、
さぞかし大変な下準備や祈りがあったのだろうな、と想像しますが・・・
私は、良い事だと感じています。

遅ればせながら、日曜日に開かれる
お子さんたちの運動会、とか学校行事には
参加されたことがあったのかしら?などと想像したりしました。

働き方改革。
牧師先生にも必要だ、と私は思っています。







にほんブログ村 60代主婦

にほんブログ村 住まいブログ 一戸建 注文住宅(業者)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 家族ブログへ
にほんブログ村


09:00  |  信仰  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2018'07.23 (Mon)

ベテスタ゛の池



昨日の礼拝後の集まりでは、ベテスダの池のお話について話しあいました。

その水が動いた時に、真っ先に水に浸かれば病が治る、
というペテスダの池。(間欠泉だったのではないか、と言われています。)
だからその池の周りには、たくさんの病人が集まって身を横たえていた、
と聖書には書かれています。
その中に38年間、そこに居続けた、男の人が居ました。

まずは38年前、自分は何をしていたか、ということを話しました。
結婚した年、中学生だった、産まれて居なかった、最初の子どもを出産した年、
などなど。でも、みんなでその長さを実感することができました。
当時、病気や貧困など不幸なことは、神の裁き、と考えられていたから
この男性は、肉体的な苦痛だけでなく、社会的にも、宗教的にも
分断された、非常に厳しい状況に38年間置かれていた、ということを
先生から教えていただきました。

このお話、イエス様はこの男にこう尋ねたのです。
良くなりたいか。
当たり前のことではないか、と思ったのですが、
この男は、はい治りたいです。癒して下さい、とは言わなかったのです。
動けないのに、誰も私を真っ先に水の中に連れて行ってくれる人がいないので、いつも先を越されてしまうのです。
というのがこの男の答えでした。

治らないのを人のせいにしている姿。
こんな長い間の不幸は自分のせいではない、と言わんばかりの返答。
そして長い時間の中で、病人で居ることに安住してしまっている姿。
その男の姿の中に、新たな1歩を踏み出せない人間の姿があるように思いました。
もう改善のしようがない、とそこに居続ける人間。

この男の心の奥を見透かして、イエス様が言った言葉は、
床を取り上げて歩きなさい、という言葉でした。

そして男は立ち上り、歩いて行った。

単に奇跡の物語、と読んでいた私ですが、この物語の奥には
永らく固執、限定していた人の心を動かし、感情を蘇らせた物語だったのでした。

イエス様の言葉は、
人のせいにばかりしていないで、自分で努力しなければダメ、自己責任だよ。
(これ、どこかの国の政府のようですね。)
という冷たいものではなかっただろう、とテキストには書かれていました。
一緒にやっていこう、という励ましと愛に溢れたものに違いない、と言うのです。
私が助けるから、一緒にやってみよう。
この想いが根底に無い限り、人を動かす生きた言葉にはならないのではないか。

この男の人は、本当に人生の1歩をふみだしたのだ、と感じました。



有意義な時間を皆さんと共有できた、話し合いの時間でした。

今週も、暑さに負けないで、頑張りましょう。












にほんブログ村 60代主婦

にほんブログ村 住まいブログ 一戸建 注文住宅(業者)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 家族ブログへ
にほんブログ村


08:52  |  信仰  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
 | HOME |  NEXT