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2018'09.28 (Fri)

依存症の話を聞いて

ギャンブル依存症の、親御さんを持つ方の話を伺う機会があった。
子ども時代のお話なのだが、想像を絶する苛酷なものだった。

自分の目の前で家や家財に赤紙が貼られる。
自殺未遂や両親の離婚。
淡々と話されていたけれど、胸が詰まる。

麻薬中毒なら、本人の体が蝕まれていくのだから、まだ良いと思う。
ギャンブル中毒は、本人が廻りを巻き込み、
廻りが静かに、じわじわ深く蝕まれていく。

この言葉に込められた思い・・・
どれほど、苦しく厳しい子ども時代だったのだろう。

夫婦は離婚すれば赤の他人になれるのかもしれない。
けれど、親子は厳然と親子なのだ。


救いは無いのだろうか。
癒しと慰めを見つけることはできるのだろうか。

お話を聞いて、私は聖書のヨブ記を思った。
理不尽な苦しみに、自分の生まれた日を呪うヨブ。
私は幸いを望んだのに、災いが来た。光を待っていたのに、闇が来た。
そう叫ぶヨブの姿が、何故か重なって見えたのだ。
ヨブの試練の意味、そして救いはあったのか、
私の理解を越えていると感じるけれど、
もう一度、しっかりと読み直し、学びたい。

そしてもうひとつ、伝道の書の言葉が浮かんだ。
全ての事には時がある。と書かれているけれど、
癒される時は何時なのか、和解できる時は何時まで待てば良いのか。
果たして希望を持ち続けられるものか。


過去はやり直せず、親を選ぶ事もできない。

私にできることは、癒しと慰めがありますように、
と祈ること。精一杯、祈り続けたい。



それにしても、依存症というのは全く個人のみ、
自分だけの喜びなのだな、と思うのだ。
パチンコ、ギャンブル、ゲーム、そこから得られる喜びとか
快楽は、人と交わり、人との関係から得られる物とは
全く異質のものだと思う。

自分という人間に悩み、人との交わりに傷ついたとしても、
それを忍耐強く続けていくことで得られる深く大きな喜び。
苦しい事と、表裏一体なのかもしれないが、
ギャンブルから得られる物とは比べものにならないと確信する。
それを打ち捨ててものめり込んでしまう、依存のさなかに居る人は、
地の底にポツンと置かれているように、孤独なのだ、と思う。


ゲームやスマホ、子どもまでもが簡単に手を染められる。
政府はカジノを作るのだと言うけれど、どうしても賛同できない。

経済も大切だけれど、一人一人に眼を向けた政策を希望したい。

依存症。
本当に、人間は弱いものだから。

そして、強くもなれると信じている。
それには、人との交わり、愛が不可欠だと思う。






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