2017年10月 / 09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

2017'01.09 (Mon)

またまた連休と五島の旅で思ったこと

仕事始めに1日出社して、またお休みでした。
年始に旅行に出かけたため、夫とともに群馬に帰って来ました。
慌ただしい日常が始まると、五島でのゆっくりした時間の流れが
なんだか遠い夢のように感じられます。
それでも礼拝に出席できて、皆さんともおしゃべりをして来ました。

踏み絵の話になりました。

踏み絵を踏んでも、生き伸びて、信仰を守り、伝え続けるという選択もある。
たとえ、どんな選択をしても神はお許しになる。
という意見がありました。
私は、自分なら拷問は恐ろしいし、神様ごめんなさい、
と心の中でお詫びして、踏み絵を踏むと思う、と言いました。
でも、五島で見たのは、それとは違っていた、とも話して来ました。

DSC_0498dd.jpg

イエス様が十字架を背負わされ、ゴルゴダの丘を苦しみながら登ったのは、
私たちへの愛ゆえのことではないか。
それならば、私たちもまた、踏み絵によって苦しみを受けようではないか。
イエス様の苦しみを、わずかでも味わえるのは、なんという幸い。喜んで受けよう。
神の身許に近付けるのだ、とそんな気持ちがあったように思いました。

喜びや、神の身許へ、という希望さえ持って拷問を受けるのですから、
さぞ不思議がられた、というか不気味に思われ、キリスト教徒は恐れられたりしたのかもしれません。
なんだかわかるような気がしました。

これはイスラム教のジハードとは違うのだろうか?
他者を巻き込むテロとは違うけれど、自爆する人の考えはどうなのだろう?
などなど、短い時間でしたが考えさせられる話でした。
・・・結論など出る事では無いですね。
DSC_0472cc.jpg

平家の落人も、隠れキリシタンも、
一人では生き延びられなかったのではないか、と私は思います。
支え合い、労わり合い、お互いを思いあう、
そういう人とのつながりがあったからこそ、
耐え忍び、希望をつないで来れたのだ、と思うのです。

競い合い、排除しあうだけでは生き延びられない苛酷さ。
豊かな現代の貧しさも感じた旅でした。






にほんブログ村 60代主婦

にほんブログ村 住まいブログ 一戸建 注文住宅(業者)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 家族ブログへ
にほんブログ村

15:16  |  楽しかったね・おいしかったね  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

>支え合い、労わり合い、お互いを思いあう



全くその通りです。
ちょっと話はとぶけれど、日本の医療保険はそんな考えがベースになっているそうです。
アメリカの場合は西部の開拓時代にさかのぼり、自分の身は自分で守る。
だから銃もそれぞれ持ち自分のことは自分で守るんだという考えがベースにあるそうです。
だから国民皆保険を持つというの発想はアメリカ人には現実的ではないだろうと義弟が言っていました。


>競い合い、排除しあうだけでは生き延びられない苛酷さ。
競い合い勝ったものだけがいい思いをする権利があるんだ、という考えはいろいろなタイプの人が生きていくには限界がありますね。
バッチ | 2017年01月09日(月) 22:20 | URL | コメント編集

★Re: 30年以上です

教会に運動会の写真が貼ってあったのですが、それを見ても感じることがありました。
学校の運動会なのだけれど、シスターも村の人たちも参加していて、多分神父様も参加しているのだと思います。
一日、労働から離れて、皆で楽しむ行事なのだ、ということが写真からも伝わってきました。
当然、徒競走ではビリになる子も居るでしょうが、全員が輝く笑顔でした。村の方たちも。

ビリになる子が可哀想、運動会の音が迷惑だから、と無音で実施するという話を聞いていたので
別世界のような、おおらかさ、温かさを感じました。
他の子と比べる、また自分が参加しなかったり、関係の無い事に対しては不寛容になる・・・
息がしずらいなぁ、と感じました。なぜなのでしょうね。
jtstj | 2017年01月10日(火) 10:34 | URL | コメント編集

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://threef.blog18.fc2.com/tb.php/1702-bf8b7949

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME |