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2017'08.24 (Thu)

盤寿の誕生祝い

昨晩は、高校の有志の会世話人が、久しぶりに集まりました。
事務局長、松本さんの誕生祝いも兼ねての納涼会で、夫も参加してくれました。

松本さんは、「盤寿のご挨拶」というプリントを用意されていて
皆に配って下さいました。
将棋の桝が九九・八十一あるので、満81歳を盤寿というのだそうです。
将棋がお好きで2段の腕前だとか。
ご自身の将棋とのかかわりや、藤井4段のことなどが書かれていました。
その他にも本屋さんが無くなったり機能を縮小したりしていることへの危機感や淋しさ、
そしてここ1年取り組んでいらした本の出版のことなどが書かれていました。

出版される本は「戦争中の障害児学童疎開資料集全4巻」というもので、
5月に第1回配本があり、第2回は今年の11月ということです。
計8万円+税、という価格のすごい本のようです。

書籍の案内プリントに書かれている物を一部ご紹介します。

戦争の激化に伴い、地上戦が予想される地域や空襲の対象になる都会から学齢児童を「避難」させる「学童疎開」は、1944年から本格化する。
兵士の供出とともに家族を引き割く学童疎開は、次世代の兵士である子どもを生き延びさせる「戦闘配備」と称され、同時に空襲対策の「防空活動」に足手まといになる幼少年を強制的に退去させるものであった。

東京、大阪など都市部の学童たちの集団疎開や縁故疎開が進むなか、しかし、肢体不自由児や視覚障害児、聴覚障害児の疎開は「国の役に立たない者を助ける必要はない」と最後の最後まで後回しにされ、疎開後、戦争が終わったのちも、もっとも遅い帰郷となった。

疎開先から発せられた肢体不自由児学校・東京都光明国民学校の「通信」には、卒業生から兵役に就くものが出た際に、自分たちの学校から皇国の兵士が現れたと喜ぶ声が載り、また故郷の家族を心配させまいと元気にふるまう子どもたちの様子が描かれる。(後略)



松本さんはずっと、障害児教育に携わって来られた方で、
特に戦争中の光明養護学校の疎開については、
ライフワークの様に取り組まれていらっしゃいました。

直接お話しをうかがった事もありました。
国が疎開先の手配を一切してくれない中、当時の校長先生が自ら必死になって、
子どもたちの疎開を受け入れてくれる先を探したこと。
そして当時の上山田村の村長だった若林正春氏に直談判し、
氏が社長をしていた上山田ホテルが受け入れを決めたのだそうです。

子どもたちの体や脚の装具で畳やふすまは傷んだけれど、
ホテルは営業を休んで受け入れて下さり、又近隣の方たちも野菜など差し入れて、
暖かく受け入れてくださったのだ、と話されていました。

今年の5月にその上山田温泉のホテルに記念碑が建立され、
除幕式が行われたそうです。
その時の新聞記事も見せていただきました。

松本さんの「盤寿のご挨拶」には、
この話しを思い出し、人に語り、書いたりするとひとりでに涙が出て来て困るのだ。
と書かれていました。

yuusia.jpg

松本さんと10年近く、一緒に活動できたこと、
また世話人の皆さんと親しく交われたことは、
私の人生にとっての大きな恵みだと感じます。
私も、皆さんのように、何か一つでも、集大成として納得できることをやり遂げたい。
そんな刺激を受けて帰って来ました。

松本さんの集大成の本。
いつか、ちゃんと読んでみよう。
上山田温泉ホテルにも行って、記念碑もちゃんと見て来よう。

どうぞ、お元気でいらして下さい。







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